医王寺の沿革

医王寺本堂

国宝山甘露院医王寺は、JR南武線南多摩駅から南に150m、川崎街道筋北川高台にある寺院です。

宝永年間(1704〜11)、当時村内に流行した難病の多いことを憂い、一村民が平癒祈願のために薬師如来を本尊に奉り、開創されたと伝えられています。本尊は木彫坐像で2尺6寸(約79cm)、脇侍の日光、月光両菩薩、眷族の十二神将共に宮殿厨子内に安置されています。大正12年(1923)の大火により本堂をはじめ全てを消失、古文書などもことごとく失ったため、詳細な由緒は不詳となっています。本尊及び脇侍、眷属は村民により運び出されました。

沿革寺の墓地西側の丘が「十三塚」の跡と比定され、元弘3年、正慶2年(1333)新田義貞の鎌倉攻めに際し、分倍河原での合戦の戦死者を弔うものであったと伝えられています。

現在の方七間、総欅入母屋造りの本堂は、昭和52年3月都道拡張計画により現台地に移転、再建されたものです。本堂東側には多目的に利用できる国宝殿があり、多くの方々に利用されています。
境内中央西側に総高二丈三尺(約6.96m)、平成元年5月に開眼した唐銅造立像の『大丸不動尊』があります。

現在多摩川三十三観音霊場第二十三番札所および関東九十一薬師霊場第二番札所になっています。